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神奈川県 - 愛甲郡

神奈川県愛甲郡

愛甲郡は、神奈川県を構成している郡のひとつです。人口は43000人以上で、愛川町と清川村の1町1村を含んでいます。ここでは、そんな神奈川県愛甲郡についてご紹介していきたいと思います。

神奈川県愛甲郡とは

先でもお話ししましたが、神奈川県愛甲郡というのは愛川町と清川村の1町1村を含む郡です。それぞれについて見ていきましょう。 まずは、愛川町についてです。愛川町は神奈川県中央北部に位置しています。水と緑に恵まれた町で、昭和30年に旧愛川町と高峰村が合併し、その翌年である昭和31年に中津村とも合併して現在の姿となりました。現在の愛川町が発足した当時は人口というのは、14000人ほどでした。しかしながら、昭和41年に県内陸工業団地が完成すると、周辺への企業の進出や春日台住宅団地がつくられたことによって、急速に市街化が進んでいくことになります。現在ではその人口も43000人を超えています。愛川町では21世紀のまちづくりを目指した「第4次総合計画-ゆめ愛川2010-」を平成8年度にスタートさせ、将来像である「ひかり・みどり・ゆとり・ふるさと愛川」の創造に向けて、町民生活に密着した各種事業を展開していることでも知られています。 次に、清川村についてです。清川村は、神奈川県唯一の村としても知られています。神奈川県の北西部にある東丹沢山麓に位置しています。煤ヶ谷エリアと宮ヶ瀬エリアにわかれており、宮ヶ瀬では宮ヶ瀬ダム湖畔園地が有名な観光地となっています。ご存知の方も多いのではないでしょうか?清川村においてはなんとその面積の93%が山林で占められていると言われています。煤ヶ谷には小鮎川、宮ヶ瀬には中津川と早戸川がそれぞれ渓谷美や清流を織り成しており、美しい自然の姿を楽しむことができます。気候も比較的暖かく過ごしやすくなっています。自然の宝庫といっても過言ではないでしょう。 このように愛川町と清川村という1町1村を含む愛甲郡なのですが、両者の特徴を考えても自然に恵まれている郡であるといえるのではないでしょうか?

神奈川県愛甲郡の歴史

もともと愛甲郡域というのは、相模国に属していました。中世には現在の厚木市あたりに毛利荘が成立し、鎌倉時代初期に幕府の創立に貢献した大江広元の所領となります。北部の山間部は「奥三保」と呼ばれていたが、鎌倉時代に三浦氏支族の津久井氏が城山に城郭を築いて以降、「津久井」と呼ばれるようになります。江戸時代には、このあたりの地域は愛甲郡から分離されていたのですが、最終的には「津久井県」と呼ばれることとなります。明治に入り、これは津久井郡と改称されます。戦国時代には小田原の後北条氏による支配を受け、江戸時代には郡内の多くの地域が小田原藩の支配を受けることとなります。宝永3年には小田原藩主大久保氏の分家が独立した藩となり、郡内の中荻野村に陣屋を置き、荻野山中藩と呼ばれることとなります。江戸時代後期には郡の一部が下野国の烏山藩の所領となり、慶応4年には徳川氏の静岡入封に伴って、荻野山中藩の駿河国内の領地に替えて郡内の幕府・旗本領の多くが同藩の領地となりました。残った旧幕府・旗本領は神奈川県の管轄となります。明治11年にようやく愛甲郡が発足し、明治22年には1町16村から構成されていました。しかしながら、町制市区や合併、編入、離脱といったものを経て、昭和31年に現在の1町1村となります。

神奈川県愛甲郡の観光

神奈川県愛甲郡の観光ということなのですが、観光面ではそこまでインパクトのあるものはありません。愛川町のほうでは観光スポットというよりは、イベントのほうが多くなっています。神奈川県の無形民俗文化財に指定されている三増の獅子舞をはじめ、愛川町一周駅伝、八菅神社春大祭、半僧坊春大祭、農林まつり、あゆ釣り解禁、三増諏訪神社夏祭、半原神社夏祭、中津八坂神社夏祭、灯篭流しといったものが挙げられます。 清川村のほうでは、やはり自然を体感できるようなスポットが人気です。唐沢キャンプ場や国際一ノ瀬キャンプ場、長者屋敷キャンプ場、金沢キャンプ場といったキャンプ場が豊富なので、アウトドアを楽しみたい方には最高です。宮ヶ瀬湖ではクリスマスのイルミネーションも人気があるようです。

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